その後、1966年に建設された「コープ・ブロードウェイ・センター」通称・中野ブロードウェイや1973年に「全国勤労青少年会館」(現在の中野サンプラザ)の開業などで今の中野の姿になって行きました。
ブロードウェイは、当時の最新高級マンションとして注目され、屋上には庭園・プール・ゴルフ練習場・居住者専用の入口に守衛の常駐など話題を呼んだ建物でした。
その利便性から築40年以上経った現在でも入居需要が高く、人気のマンションとして扱われています。住居総数はおよそ220戸、居住エリアの廊下には真っ赤な絨毯が敷かれていて、毎日その「レッドカーペット」に清掃員の方が掃除機をかけ綺麗にしています。
 ちなみに、ブロードウェイにある漫画専門古書店「まんだらけ」のおかげ?で、ここ数年急激に中野駅北側が、漫画・アニメなどいわゆる「オタク」色の強い街になりつつあります。
古くから住む商店街の方や住民達は、街の進んでいる方向に対して賛否両論戦わせている最中。
 そんな事にはお構いなく北口の商店街サンモールには海外から「ジャパニメーション」を求めて、年々訪れる外国からの観光客が増え続けています。
 最近はアジア系の方が多く来ている様で、サンモール商店街を黒髪外国人さん8人が、全員「まんだらけ袋」を両手に持ってすごく嬉しそうに歩いていました。


 区のほぼ真中にあるJR「中野駅」を中心に、駅近隣北側には中野区役所、中野サンプラザ、中野ブロードウェイ、まんだらけ、南側には中野ゼロホール、ホームセンター島忠、中野総合病院など主要施設の多くが集まり利便性を高めています。

駅にはJR中央快速、中央、総武緩行、東京メトロ東西線が乗り入れていて、駅近隣は平日、休日問わず人が多く出歩いています。
 近隣北側には、西武新宿線「新井薬師前駅」、南側には丸ノ内線「新中野駅」があり両駅とも徒歩で10分前後の距離にあり、ご主人は中央線、奥様は丸ノ内線を利用のご夫婦がいらっしゃるそうです。
 その昔近隣は『中野郷』と呼ばれ畑作を中心とする農地として江戸町民の食糧需要を支えていました。明治中期以降、都心からの転居者が増え、関東大震災後は、急激な宅地化が進み昭和40年代までに農地は、殆ど姿を消してしまい、今の住宅街としての「中野」が出来てきました。

【中野北口 中野サンプラザ】

中野エリア情報

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